私たちが暮らす南鳩ヶ谷四丁目には、江戸時代から続く長い歴史があります。
地域のルーツをやさしくひもといていきます。
江戸時代:「前田村」と呼ばれた地域
現在の南鳩ヶ谷四丁目・五丁目周辺は、江戸時代には「前田村(まえだむら)」と呼ばれていました。
新芝川沿いの低地と台地の境目に位置し、古くから人の往来が多い場所でした。
天保7年(1836年)の庚申塔(道標)
前田村の人々が建立した庚申塔が、今も現存しています。
道標には──
「東 西新井みち」
「西 戸田みち」
「南 川口みち」
「北 前川みち」
と刻まれており、当時この場所が交通の要衝であったことがわかります。
宿場町「鳩ヶ谷宿」とのつながり
南鳩ヶ谷四丁目は、日光御成道(将軍が日光東照宮へ向かう道)のすぐ近くに位置していました。
江戸から数えて3番目の宿場町である「鳩ヶ谷宿」が栄えた影響を受け、周辺地域も大いに発展していきました。
1968年:「南一〜八丁目」が誕生
1968年(昭和43年)1月1日
鳩ヶ谷市の大字「三ツ和」「前田」「辻」の一部が再編され、
▶ 南一〜八丁目
が新しく誕生しました。区画整理と住居表示の実施によるものです。
2011年:川口市への編入
2011年(平成23年)10月11日
鳩ヶ谷市が川口市に編入されました。
すでに川口市内に「南町」が存在したため、区別する必要から、
▶ 南鳩ヶ谷一〜八丁目
へと改称され、現在に至ります。
南鳩ヶ谷四丁目の歴史に関わる2つの場所
① 旧「前田村」(現・川口市前田)
江戸〜明治にかけての「前田村」は、現在の 川口市前田(〒334-0014) にあたります。
南鳩ヶ谷四丁目・五丁目あたりは、この前田村の一部だった地域です。
今も「前田」という地名が残っており、歴史の名残をはっきりと感じられる場所です。
② 庚申塔(こうしんとう)── 前田村の人々が建てた道標
南鳩ヶ谷周辺には、江戸時代の庚申塔がいくつか残っています。
主なものは次の2つです。
▼ 南鳩ヶ谷二丁目の庚申塔(史跡)
江戸時代の道標として知られています
▼ 南鳩ヶ谷三丁目の阿弥陀庚申塔
前田村の信仰の名残が見られます
どちらも、当時の前田村の人々の暮らしや交通を知る貴重な手がかりです。